昨日書いた記事は無駄に長い気がするので少しまとめてみようと思う。一日たって考えもまとまってきた気もするので。
- 親しい人が亡くなったら何か残したいと思うのは自然な発想
- とはいえ、多くの人の意識に遺体を撮るのはいけないという思いもある(はず)
- その上で撮る覚悟、自覚を持っているならそれはそれでいいのかもしれない
- 覚悟があるのにカメラ付き携帯は如何なものか(矛盾)
- 携帯で撮っている時点で覚悟も自覚も感じられない
- どのカメラで撮るか、その姿勢、姿も大事かも
こんな感じだろうか?
許せないと感じる人はきっと撮っている人は、死をなんとも思っていなくて撮っていると感じるのではないか。なんとも思っていないから撮れると。
それはどこから感じるかというと、やはり携帯のカメラだからか。写真を撮ること自体が許せないのもあるだろうけど。
少し関係ないが、携帯のカメラで撮っているという話を聞くとライフカードの CM を思い浮かべてしまう。オダギリジョーが土下座してあやまっているところを、後輩がパシャリと撮って、
「すっげ〜!、土下座だ!初めて見た」
と言っている場面。
これが葬式で出棺前にパシャリと撮って、
「すっげ〜!、遺体だ!初めて見た」
とやっていたら誰でも怒るだろう。
やっぱりカメラ付き携帯にはあまりいいイメージがないのかもしれない。
結局あまりまとまっていない気もする。