2006年04月27日

お葬式で写真

少し前にお葬式の際、カメラ付き携帯で亡くなった方を撮影する人が増えているというニュースがあった。その時も少し書いたのだが、良くまとまらずにそのまま時間が経ってしまった。

このニュースの話としてはカメラ付き携帯で亡くなった方を撮るのは容認派?否定派?という感じだったので、それについて言えば否定派であると思う。でも、何かそれだけでは割り切れないものがある。

撮ろうとする動機

まず撮ろうと思う気持ちについては理解できなくもない。生前の元気な頃の写真があればいいとか、脳裏に焼き付けておくのが大切というのももっともだとは思う。とはいえ、姿形というのも大切で、死んでしまっても形としてあるのとないのでは大きな違いがあるように思う。

出棺の時に、このあと火葬されて、もう物体自体がこの世からなくなってしまうと思ったらなんとかして残したい。でも、その物体(遺体)を残していても仕方ないこともわかってはいる。だったらせめて写真だけでも。という感じなのだろうか。

その写真をその後見るとかどうとかはあまり関係なく、撮ったことで安心するんじゃないかと思う。

衝動的に撮ってしまうという感じなのか。それを抑えるのが人としての大事だという話もあると思うけど、普通の冷静な状態ではないだろうし、その気持ちを否定するのもどうだろう?とも思う。

ここで写真を撮ろうと思う気持ちがわからない。常識では考えられない。という反応もあるのだろう。確かに死者を撮るというのは抵抗がある。撮りたいと思っても実際に撮るか。そこにはなかなか踏み越えられない一線があるのも感じる。

常識がない、人の死をなんだと思っているんだ、神聖なものだ、などなど、非難されるのも想像がつく。でも、だからこそそれでも撮るということはその人に覚悟なり、抑えきれないものがあるんじゃないかと思う。

カメラ付き携帯はどうなのか

気持ちが理解できるなら容認派なんじゃないかと思うが、カメラ付き携帯で撮るというのはやはり抵抗がある。でも、衝動的に撮るとしたらカメラ付き携帯ということになる。

コンパクトカメラにしても一眼レフにしてもデジタル、フィルム問わず、ある程度用意しておかないと難しい。コンパクトカメラを持ち歩く人もいるが、やはりカメラ付き携帯とはワンクッションある気がする。

これは矛盾している。この辺がすっきりしない気持ちなのかもしれない。

なんで携帯じゃ悪いのか?

そんなにカメラ付き携帯は悪いのか?という気もしてくる。逆に自分がカメラ付き携帯をバカにしているのではないかとも思えてきた。

カメラ付き携帯の何が悪いのだろう?

  • お手軽感が強い
  • メモ的な印象
  • 撮っている姿(構え)が手を突き出して暴力的に見える(気がする)
これらの印象と死のイメージがかけ離れているからだろうか。

気持ちを考えるとわかるけど、その気持ちだったら携帯では撮らないだろう(と思ってしまう)。逆に言えば、携帯で撮っている姿からはその気持ちが感じられない。仮にそうだとしても。

これは見かけの問題なのか?

見かけは大事だ。これも大きな要因にも感じる。けど、まとまりがつかなくなったのでまたいつかに続く。

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posted by knit at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | News
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